工藤一良(元マラソン選手)経歴や成績は?現在仕事は何しているの?

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工藤一良さんは元マラソン選手です。

 

1988年のソウル五輪の日本代表に選ばれていたかもしれない選手でした。

 

ある意味悲運の選手とも言えるかもしれません。9月11日『東京五輪代表を懸けた運命の決戦へ』の番組でも工藤一良さんは紹介されています。

 

そんな工藤一良さんの経歴や成績気になります。そして現在何をされているのでしょうか?

 

今回は工藤一良さんの経歴や成績、現在何をしているかを調べてみることにしました。

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工藤一良(元マラソン選手)のプロフィール

名前:工藤一良(くどうかずよし)
生年月日:1961年2月27日
年齢:58歳
出身地:青森県

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工藤一良(元マラソン選手)の経歴や成績は?

工藤一良(元マラソン選手)経歴/成績 (1)駅伝

工藤一良さんは青森県立名久井農業高校に入学します。

 

小学校や中学校の頃についての情報はありませんでしたが、高校時代では主に全国高等学校駅伝競走大会に出場され活躍されます。

 

高校2年時から1区を担当し、高校2年の第28回大会は区間13位、そして高校3年時の第29回大会では区間書を獲得するくらい実力を発揮します。

 

もともとの才能、そしてコーチにも恵まれたのでしょうか、高校3年生の時の成長ぶりはすごいですね。

 

高校卒業後は当時名門だったリッカー株式会社の陸上部に入部します。

 

現在リッカー株式会社は休部となりますが、当時は名門の実業団陸上部でした。

 

でもこの当時の工藤一良さんは、高校駅伝での実績こそありましたが、基本自身の得意な駅伝競技を中心にトレーニングに励み、基礎トレーニングを付ける意味でトラック競技も行いながら競技の幅は広げていきますが、マラソンについては特に狙って強化するということはなかったようです。

 

特に駅伝としては高校卒業後1年目に十和田八幡平駅伝競走全国大会で1区に抜擢され、3位と好成績を収め、さらに4年後の同じ大会でも今度は3区を任され区間賞を獲得する等、リッカー陸上部の優勝に大きく貢献されます。

 

しかしこの次の年からリッカー陸上部は休部することになり、工藤一良さんは当時監督だった白水昭興監督の誘いで日産自動車陸上競技部へと移籍することになりますします。

 

日産自動車陸上競技部移籍後は1984年第37回十和田八幡平駅伝競走全国大会で5区の区間賞獲得。駅伝はやはり得意なんですね。こうして日産自動車陸上競技部の優勝に貢献されます。

 

また、工藤一良さんは東日本実業団陸上競技選手権大会5000m走にも参加され、1981年に14分15秒1のタイムを記録したり、全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)にも出場され、リッカー陸上部には3年連続3位、日産自動車陸上競技部では移籍後3位以内に入り、1989年第33回大会にはチームを優勝に導きます。

 

こう振り返ってみると、駅伝等の陸上競技にはすばらしい経歴を持たれていますね。

 

ところがマラソンでの実績となると・・・。

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工藤一良(元マラソン選手)経歴/成績 (2)マラソン

工藤一良さんは21歳の時、1982年第37回毎日マラソンに初出走。同大会でいきなり2位に入ります。

 

その後はしばらく低迷が続きますが、1986年の福岡国際マラソンで4位に入ります。

 

こうやって考えると駅伝とマラソンとは少し違うようですね。

 

単純に走行距離だけでなく、コースの違いやランナー同士の駆け引きもあるのか、駅伝が得意だからといってもすぐにマラソンも得意で活躍できると言う訳でもなさそうです。

 

ただそれも工藤一良さんは理解したうえで、さらなるトレーニングと大会実績を重なることで乗り越えていこうとされます。まさに今、駅伝からマラソンへと展開を始めている時期だったのでしょう。

 

駅伝にはなく、マラソンにはある、オリンピックを目指そうと思い始めたのだと思われます。

 

そして翌年1987年12月6日の福岡国際マラソンに出場し、この大会でも安定した走りを見せての日本人3位の総合4位となります。

 

当時日本陸上競技連盟は、この福岡国際マラソン大会を1988年開催のソウルオリンピックマラソン日本代表選手を選ぶ為の一発選考の大会という位置づけでありました。

 

そこでマラソンの実績が浅い、工藤一良さんが3位入賞。総合4位。オリンピックの日本代表選手の枠は3枠。一発選考の大会であるならば3位入賞した工藤一良さんが日本代表選手に選ばれるはずでした・・・。しかしマラソン実績が浅い。

 

結局は日本陸連はマラソン実績のある、中山竹通さん、新宅雅也さんはお臨費つくにhん代表に内定させますが、工藤一良さんについては経験不足を理由に保留とします。具体的には他の選考レースである東京国際マラソン、びわ湖毎日マラソンの結果を見て内定者を決めることになります。

 

マラソンの実績が浅いからという理由で急遽オリンピック日本代表選考基準を変えてしまいました。

 

最初からそういう方式で行くというのであれば問題はないのでしょうが、レースの結果を見て、変えてしまいます。その結果工藤一良さんは、その後開催された「びわ湖毎日マラソン」で優勝した瀬古利彦さんがオリンピック日本代表の3枠目として抜擢されることになり、工藤一良さんは補欠に回り、オリンピック日本代表選手に選ばれませんでした。

 

工藤一良さんが、補欠決定直後の4月17日に行われたロンドンマラソンでは2時間10分59秒の自己最高記録を出し、3位に入ります。しかしそれ以降マラソン選手としては特に上位入賞する等の実績を上げることができず、1993年の上尾シティマラソンを最後に現役引退されます。

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工藤一良(元マラソン選手)現在仕事は何しているの?

そんな悲運の元マラソン選手の工藤一良さんは現在仕事は何をしているのでしょうか?

 

引退後はすぐにコーチとして転身し、次世代の選手の育成に励まれています。

 

選手時代に所属していた日産自動車陸上競技部コーチ、しまむら陸上競技部コーチを務められた後で、2008年には日清食品の陸上競技部のコーチになります。

 

日清食品陸上競技部では2010年と2012年のニューイヤー駅伝の優勝に指導者として貢献することになります。

 

こう考えるとマラソンにはなかなか縁や運に恵まれませんが、駅伝競技には何か強い縁や運があるのかもしれませんね。

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工藤一良(元マラソン選手)経歴/成績/現在の仕事のまとめ

工藤一良さんは元マラソン選手であり、今回経歴や成績を振り返ることにしました。

 

9月11日の『マラソン・グランド・チャンピオンシップ 東京五輪代表を懸けた運命の決戦へ(TBS系)』のテレビでは、工藤一良さんは、ソウル五輪代表選考で、あいまいな選考基準によって代表の座を逃したという悲運の男として紹介されました。

 

駅伝での経歴や成績は申し分ないのにのにマラソンの実績についてはまだ浅かった工藤一良さん。

 

現在の日本陸連強化委員会のプロジェクトリーダー、瀬古利彦と同じ時代に活躍されていたこともあるだけに状況が少し変わればまた違い経歴を重ねていたのでは?と思うと色々考えてしまいますね。

 

現在は工藤一良さんは指導者として活躍されています。工藤一良さんが育てた選手たちがオリンピック日本代表選手に抜擢されるようなことも将来的にあるかもしれませんね。期待したいと思います。

 

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